「よくやったよ!」
「そんなことをしたらダメなんじゃない?」
「こんなこともできないのか…」
「これくらいで十分でしょう」
「最悪だな…」
だれでも,このような声を聞いたことがあると思います。耳ではなくて,こころで。
これは自分で自分をコントロールしたり評価したりしていることの表れといえるでしょう。このようなことが起きるのは,とても当たり前のことと思われるかもしれません。しかし,もう少し考えてみると面白いことがわかってきます。
コントロールにしても評価にしても,規範や基準を必要とします。規範や基準がない場合には,コントロールや評価ができません。ですので,自分が「こうした方がいい」とか「こうしてはいけない」,「よくやった」,「ダメだ」などと感じている場合には,そこに必ず自分の中にある規範や基準がはたらいていると考えられます。普段の生活では,あまりそのようなものの存在に気がつかないかもしれませんが,このような時には,ちょっと注意していると自分の中にあるものに気づくことができると思います。
さて,本書第5章には,理想自己とか現実自己,可能自己,義務自己などという概念が出てきます。一人の人間は,自分の中に多様な自分のイメージ,自己像を持っていると考えられるのです。現実の今の私に対する認識が現実自己ですが,これが理想的な私としてイメージしているものとかけ離れていれば,今の自分に対する評価はあまり高くならないでしょう。お年玉として1万円を期待していた時に,実際のお年玉が5千円だった時のことを考えてみればよいでしょう。がっかりとか,残念というような気持ちになるのではないでしょうか。
またヒギンズのいう義務自己は興味深い自己像であり,「こうあるべきだ」という「べき」という考え方が反映されているものです。あなたは,二十歳を過ぎたら子ともではないので,お年玉は不要である,もらうべきではないと考えているとしましょう。しかし,実際には5千円のお年玉をもらったとします。この時,どのような気持ちになりますか。5千円のお年玉をもらったことは,先の例と同じですが,そこに生まれる感情はかなり違ったものになると思います。
自分が持っている現実自己以外の自己イメージは,自分の規範や基準の,ひとつの源と考えることができます。先に記したように,自分自身に対して何かを感じた時,それは自分の持っているどのような自己イメージとの一致,不一致から生まれてきているのかと考えてみると,自分の中にいるさまざまな自分と出会えるきっかけになるでしょう。